F-105's Page
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35th TFW  / George AFB
F-105F/G (1973~1980)
↑ 1976年9月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8306。上2枚の写真は同一機”GA-306”であるが、1976年はアメリカ建国200周年の為に、翼下の燃料タンクのフィンにさりげなく200周年の特別塗装を施してある。また青い筒状の吊るし物はシュライク対レーダーミサイルの訓練用ダミー弾である。この機体は、後にジョージア州空軍に移管され、そこで最後をおくった。
F-105サンダーチーフ戦闘機の最後のページになるが、時代は前ページより少し遡って、ジョージ空軍基地で1973年から1978年まで”GA”のテールレターを付けていた頃のものである。ジョージのサンダーチーフとしては、”WW”より”GA”の時代の方が圧倒的に長いので、日本からアメリカへ撮影に赴いたマニア諸氏にとっても馴染みのある写真である。渡辺師匠のコレクションから、撮影年月日順に並べてみよう。
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↑ 1978年9月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8285。機体後部下面には水平飛行を安定させるベントラル・フィン(垂直安定翼)が付いているが、このフィンに緊急着陸に使うアレスティング・フックが付いていた。
↑ 1976年9月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8276。サンダーチーフと言う戦闘機は、D型以降 給油の受給装置を2種類持っており、海軍軍機のようなブローグ&ドローグ方式と、空軍機が使うフライングブーム方式両者に対応できた。ある意味非常に融通の利く機体だったのだ。
↑ 1977年9月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/62-4438。パイロット達が搭乗する際、使われるステップは8段以上ある手摺付きの長いものである。これだけ機体の位置が高いと、転倒事故で重傷となる可能性もある為、専用のステップが必要となったのだろう。
↑ 1975年8月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8306。1973年時代と異なり、主翼の燃料タンクを懸架するラックは、下半分が濃いグリーン色に塗られている。上空から見た場合、その部分が白いと目立つからであろう。
↑ 1977年8月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8321。この機体は、撮影された翌年の3月2日にポイントマグー基地に向かう途中で墜落して失われている。パイロットも助からなかったようである。
↑ 1976年9月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8300。この機体も写真↓の機体も1976年撮影であり、650ガロンの翼燃料タンクのフィンは同一の記念塗装をしているので、部隊の多数の機体に施されていたマーキングのようである。
↑ 1975年8月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8276。以前は嘉手納基地の18th TFWにも所属した機体だが、ベトナム戦に投入後アメリカに戻ってからG型に改造されている。最後の1980年までジョージで活躍した機体である。
↑ 1975年8月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8321
↑ 1973年12月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8306。本項の機体で尾翼の地位プラインがライトグレーに塗られていないュ鬱の機体であるが、特に意味は無いのであろう。SUU-20ディスペンサーをぶら下げるラックは、主翼からかなり距離を取っているのが興味深い。1972~73年は388th TFWの所属でベトナム戦に投入された機体であるが、本国に戻ってから再塗装されたのか、迷彩は真新しい感じである。
↑ 1973年12月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/62-4428。ベトナム戦では388th TFWにも所属して、ワイルドウェーズル任務の実戦も経験した機体である。翼下には、SUU-20/Aと思われる訓練用ディスペンサーが装着されている。
↑ 1973年12月にジョージ空軍基地で撮影されたF-105G/63-8306。ベトナムでタイのタクリ空軍基地で活躍した機体だが、その後F型からG型に改造されてワイルド・ウィーズル任務の訓練に使われた。